老害の人を考える
文春の新春号で内館牧子さんの「老害の人」のあとがきの様な文章を読みました。
ふふと笑いながら自身を振り返っていました。自分はどうだろう、趣味の蘊蓄を披露してないか、病気自慢をしてないか、昔の自分を評価していないか、孫自慢をしていないか、リハビリを自慢していないか、などなど。
皆当てはまる、それを聞いてる友達や後輩たち親戚の人たち用事のため訪れた人たちにさりげなく、あるいは堂々と自慢している。
言われてみれば恥ずかしい、皆戸惑いながら積極的に頷いたらよいのか、あいまいに頷いたらよいのか、苦笑したり、下を向いて無視したりどう対処すれば雰囲気を壊さずに済むのか苦心している。まさに老害である。
「昔話や自慢話は、老人だけで集まってやって」・・・
老害の人の対処としてその年配の人たちが集まって自慢しあって大いに盛り上がり甘美な時を過ごせばよいとの話ですが、老害を撒き散らさないのは良いのですが?
この年齢では、あっという間に一人欠け二人欠け、一人になってしまい続けていけば、老人の独り言になってしまいます。
これまた老害でなく認知症の問題になります。
人に死がある限り課題が残りそうです。